2018年4月8日、Googleロゴがマリア・フェリックスの顔画像に変更されていましたね。
マリア・フェリックスと聞いて分かる方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。

マリア・フェリックスを調べるとメキシコ映画や女優、歌手、
それからカルティエというキーワードが見当たりました。

このブログでは、マリア・フェリックスのことが気になる方
マリア・フェリックスの人物像や経歴、軌跡をご紹介していきたいと思います。

マリア・フェリックスのことが気になる方は、ぜひ読み進めていただけたらと思います!



マリア・フェリックスってどんな人?

まず、マリア・フェリックスの人物像についてですが、

マリア・フェリックスはメキシコ出身で本名は
「マリア・デ・ロス・アンヘルス・フェリックス・ゲレーニャ」

という長い名前が本名のようですね。

1914年4月8日生まれで享年88歳、Googleロゴの顔画像でも分かるように
非常に容姿端麗できれいな方であることが見て分かります。

マリア・フェリックスの職業は女優、歌手としてメキシコで活躍し、
多くの映画にも出演し、メキシコ映画の黄金時代を築いた1人と言われています。

それでは、マリア・フェリックスはどういった映画に出演していたのでしょうか。
マリア・フェリックスの出演映画を次に見ていきたいと思います。



マリア・フェリックスが出演した映画

マリア・フェリックスは生前計47本の映画に出演していたようです。

その映画はメキシコ映画に限らず、フランスやスペイン、イタリアなど
ヨーロッパの映画にも多数出演した経験があります。

マリア・フェリックスが出演した映画にはどういった内容の映画があるのでしょうか。

代表作とも言われるフレンチ・カンカン

出演した計47本の映画のうち、マリア・フェリックスの代表作とも言われる、
パリを舞台にミュージカルダンスを取り入れた「フレンチ・カンカン」というフランス映画があります。

監督は彼の有名なジャン・ルノワール監督。
映画好き、監督好きの方なら一度は見たことがあるのではないでしょうか。

舞台は1888年、フランスで流行ったダンスの1つ「フレンチ・カンカン」を思う存分取り入れ
ダンスと音楽を映画に重ね、臨場感と迫力感が伝わる壮大な映画です。

この映画では、マリア・フェリックスは舞姫ローラ役として出演しています。

マリア・フェリックスの名は徐々に世の中に知れ渡ることになります。



マリア・フェリックスとカルティエの関係

女優として知名度を徐々に上げるマリア・フェリックスですが、
あの高級ジュエリーブランド「カルティエ」とも深い関係があるようです。

多くの映画に出演し大女優として地位を確立したマリア・フェリックスは、
カルティエのアニマルシリーズジュエリーのイメージキャラクターにもなることになります。

これがマリア・フェリックスとカルティエの関係です。

そのアニマルシリーズというのが、爬虫類がほとんどで中でも「スネーク(蛇)」は有名です。

マリア・フェリックスのスペシャルオーダーによって作られたのが、
精巧に作られたプラチナのスネークネックレス。非常に存在感と圧倒されるきれいさがあります。

なぜ、スネークかというとマリア・フェリックスが無類の爬虫類好きとも言われており、
スネークだけでなくクロコダイル(ワニ)ネックレスもあるようです。

メキシコだけでなくフランスでも知名度を上げ大女優としてのぼりつめた、
マリア・フェリックスの装飾品、ジュエリーには超一流がお似合いです。



マリア・フェリックスは美人コンテストで優勝経験あり

他にも、マリア・フェリックスの軌跡には、
グアダラハラ大学の美人コンテストで優勝した経験がある情報がありました。

日本でもあるような大学美人コンテストのようなものでしょうか。
ミス大学といったようにメキシコの大学でも開催されたのでしょう。

ミスコンは登竜門とも言われていますが、美人コンテストで優勝するほどですので、
言わずもがな美人であることが分かりますよね。

マリア・フェリックスは若いころからその容姿端麗は注目を集めており、
第三者からも評価されるほども異彩を放っていたことがうかがえます。

マリア・フェリックスが生前活躍され出演した映画を見てみたいと思いました。

マリア・フェリックスをGoogleDoodleが紹介

GoogleDoodleのマリア・フェリックスの紹介文には、

When an important Mexican filmmaker first approached Maria Felix about an acting career, she responded: “When I want to, it will be through the big door.” Felix would launch a film career on her terms, even turning down Hollywood magnate Cecil B. Demille to debut in her home country where she would become an icon of the Golden Age of Mexican cinema.

Born in 1914, Maria Felix grew up modestly in Alamos, Sonora, Mexico among 11 siblings. During her teen years, her family moved to Guadalajara where Felix was crowned Beauty Queen at the University of Guadalajara. She got her break after moving to Mexico City, starring in El Penon de las Animas (1942). Her offscreen defiance of famous co-star Jorge Negrete earned her the reputation for toughness that followed her throughout her life and career.

日本語直訳すると、

メキシコの重要な映画監督が初めてマリア・フェリックスに俳優として就任したとき、彼女は次のように答えました。「私が望むときは、大きな扉を通る」フェリックスは映画のキャリアを開始し、ハリウッドの大物セシルB彼女は母国でデビューし、メキシコ映画の黄金時代のアイコンになるだろう。

1914年生まれのマリア・フェリックスは、11人の兄弟の間でメキシコソノラのアラム族で穏やかに成長しました。十代の年の間に、彼女の家族はグアダラハラに移り、フェリアはグアダラハラ大学のビューティークイーンに戴冠しました。彼女はエル・ペニョン・デ・ラス・Animas(1942年)で主演メキシコシティに移動した後、彼女の休憩を得た。有名な共演者ジョージ・ネグレテの彼女のオフスクリーンの反抗は、彼女の人生とキャリアを通して彼女に続いた強靭さの評判を得た。

マリア・フェリックスって誰?メキシコ映画を築いた女優をGoogleロゴが祝う まとめ

マリア・フェリックスって誰?メキシコ映画を築いた女優をGoogleロゴが祝うについてご紹介してきました。

マリア・フェリックスはメキシコだけでなくフランスでも大女優としての地位を確立し、
かの有名なジュエリーブランド「カルティエ」のイメージキャラクターも務める容姿端麗。

大学では美人コンテストで優勝するほど第三者からも評価される容姿を誇っていました。

生誕104周年を迎える本日、改めてマリア・フェリックスという大女優に敬意を表します。