ンコシ・ジョンソンのエイズ会議でのスピーチがきっかけとなって、ンコシ・ジョンソン基金が設立され、彼はARV治療を受けるようになった。しかし、治療開始が遅かったため、翌2001年になくなった。 @yamamoto1208
— 斉藤龍一郎 (@saitoryoichiro) January 24, 2011
2000年ダーバンでの国際エイズ会議では、HIV陽性者を代表して最高裁判事のエドウィン・キャメロンと当時12歳だったンコシ・ジョンソンがスピーチした。その会場を、エイズ治療を求めるデモが包囲した。@yamamoto1208
— 斉藤龍一郎 (@saitoryoichiro) January 24, 2011
今日の #Googleロゴ は #ンコシ・ジョンソン(Nkosi Johnson) さんの #ダーバン・国際AIDS学会 での演説の模様。出生時より母子感染にて #HIV に感染、AIDSを発症、この演説の時(11才)、既に末期状態で、翌年亡くなりました。彼はこの演説を「私たちはみな同じ。恐れないで」と締めくくっています。
— finnegan-wake (@finegan_wake) February 3, 2020